生きる意思と生への執着はどう違うだろう


姉の状態が思っていたよりよくなさそう。

前回のお話↓
悪い方に傾く時はいつだってあっという間

父や叔母と話すと、PTSDみたいな症状が出るらしい。
話を聞くだけで、姉とも実際には会っていないので、詳しい状態はわからない。
でも、とにかく吐き気がすごい、頭が働いていなくて整理できない。
そんな様子だ。

これでは、ひとりで父を連れ帰るのは無理だから
急遽わたしも新潟に行くことに。

限られたお盆休み
子供の予定もバイトも入ってるから
朝いちで静岡をでて、新潟で落ち合って
運転だけしに行く予定。

翌日は朝4時半からバイトだし
週明けの月曜日は親知らずの抜歯。

中々ハードなスケジュールだよね。
でも、やるしかない。

こういう時に全く動こうとしない母には
怒りを通り越して呆れちゃう。

イライラしてた時期もあったけど
もはやそのエネルギーすら湧いてこない。

誰が悪いとかそういうのじゃないけど
周りの人が体調を崩したり、無理をしたり。
そこまでして生きたいと思うものなんだろうか。

わたしは子供たちが自立してくれたら
正直もういつでもいいかな、なんて思ったりする。
人と関わらないと、自分のやりたいこととか目標とか
そういうののためには生きられないタイプなのかもしれない。

うちの両親はもう仕事もしていないし
わたし達の世代との交流がさかんというわけでもない。

人生を活き活きさせてくれるような趣味もなさそうだし
やり残したことがあるようにも見えない。

それでも、生きていたと思うのは
ただ死が怖いからなのか
本能的な何かなのか。

もし両親が旅立つ時がきたら
今回の役目を終えて、ゆっくりとお休みできる
そして次に生まれる準備をするんだと思うんだけど
中々そういう風には捉えられないよね。

そして、まだ生がここにあるということは
なにか役目や自分にやることが残ってるからなのかもしれないね。

とはいえ周りは大変どころの騒ぎではなくなってきている。

お盆まで2週間とちょっと。
どうか持ちこたえられますように。

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